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不幸者の意見は 無価値である
■ 不幸者の意見は
無価値である
執筆 2024年 12月04日
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最近 自分は、
ある1つの真理
に 気がつきました。
『不幸者の意見は(高確率で)無価値』
…
『不幸な人の意見は、
ほぼ確実に価値がない』
という事実に。
たとえば
一部の
「左翼(アンチ自民党)」
「フェミニスト」「地方住まい」
といった人々は、
悲愴なまでの決意(?)で
日常的に
デモ
などをやらかしては
『この社会は 自民党や オス(男性)や
東京の支配下に置かれており、
我々は不幸を余儀なくされている !!!』
などと、
「我こそは 民衆の代表者」
「我こそは 不幸の代名詞」
みたいな顔して
「自分の意見」
を 叫び続けていますが…
あれらなどは 正に、
今回 ご説明する
『聞く価値の無い意見』の
代表例
なのです。
【目次】
-
なぜ 不幸者の意見は『高確率で無価値』なのか
-
不幸な人は『他人の幸福を本気には望めない』
-
さいごに
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なぜ 不幸者の意見は
『高確率で無価値』なのか
そもそも
なぜ「不幸者の意見は
高確率で無価値」
なのか…?
それは、
不幸な 彼ら・彼女らの
「意見発信」
は、
高確率で
『単なる自分個人の要求』
か
『自己正当化』
でしかない
からです。
本来
意見発信
というものは
『提案』であるべき
で…
より良い社会のために
(巡り巡って自分自身のために)
自分の知識や考察を活かして
「社会に アイディアを提案」
する…
それが
意見発信 の 本質
です。
ところが、
不幸な 彼ら・彼女ら
が
わめき散らしているのは、
「自分たちにとって都合が悪い、
社会の中の不満箇所を、
(何しろ不幸者ですから、
不満に思う箇所
は
この社会に 星の数ほど存在します)
自分たちに都合良くなるよう変更しろ!」
という
身勝手にもホドがある要求
か、
「自分たちの不幸は、
自分たちの落ち度や怠慢のせいではなく、
周りの他人や この社会そのもののせいだ!」
という
『短絡的な 他責思考』
(自己正当化)
ばかり…
そんな
「個人的欲求」
や
「自己正当化」
に
まともな客観性など
当然 あるはずもなく
、
主張すればするほど
周囲の人々とズレが生じて、
怒られたり 呆れられて
孤立していきます
。
ところが、
本人たちは その状況を
『正しい意見を
わきまえずに発言したら、
古い考えの奴らに圧力をかけられた!』
『自分たちは 孤独なのではない!
孤高なのだ!』
などと 都合よく曲解したり、
さらなる自己正当化を重ねて、
より深く 自分たちの不幸に
ハマりこんでいく
…
ここまで来ると 何か もう、
「無価値」の 世界チャンピオン
という感じです。
(ちなみに、この手の
「不幸者の 自己正当化」
のことを、
かの
ニーチェ
さんは
『ルサンチマン』
と命名しました。
自分のルサンチマンを自覚できない幼稚な輩は、
「幸せな人、成功した人、人気者、社会の上層部にいる人」は悪者
であり、
「不幸で、失敗ばかりで、人望も無く、社会底辺」である自分のほうが
心の美しい立派な人間である!
みたいな、
憐れな自己正当化を発症するわけです)
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不幸な人は
『他人の幸福を本気には望めない』
「不幸者の意見が無価値」な 理由
は、
他にもあります。
たとえば
『不幸な人は、他人の幸福を
本気には望めない』
が それです。
人は、
自分が幸せ
だからこそ、
心にも余裕が生まれ、
他人に対して 大らかになったり、
「他人の幸せのために 本気で動ける」
ものです。
(ただし この場合の「幸せ」とは、
社会的な幸せ
も もちろんですが、
「自分の人生に納得し、充足していること」
が とても大きいです。
逆に、どんなに お金持ちで 世間的に見て順風満帆でも、
本人が自分の人生に納得していなければ
「その人にとっては不幸な人生」であり、
そのような人間心理が その人の中に形成されていきます)
逆に、
不幸な人生を歩んでいる
(あるいは自分で そう思いこんでいる)人
は、
他人に対しても
常に 攻撃的・批判的
で、
時には 他人の幸せのために
動いているように見えても、
『実は、結果的に自分が得するよう
画策している』
場合が ほとんどです。
(たとえば、
左翼の人々や 左翼マスコミ
などは、
よく「社会的弱者のための反政府デモ」を起こしたり、
「政府よ! この不幸な人を救え!」
みたいな事を言いますが、
よくよく見ていると 要は
「政府・自民党をケナすことで、
相対的に自分たちの推している野党の民衆評価を上げる」
のが 本目的…
『社会的弱者の味方のフリをしながらも、
実は その弱者をも踏み台にしているだけ』
だと分かって ゾッとさせられます)
不幸な連中は、
決して「他人の幸福」は望まず、
むしろ その他人を
踏み台
にして、
「自分たちの利益のため」だけの要求
を
私たち第三者に 聞かせたり
政府に実施させようとする
…
そんな 身勝手な行為に、
価値など あるはずがない
のです。
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さいごに
皆さんも、今後 街中やネット上で
なにかのデモ行為
を見て、
そのデモに 本当に価値があるかどうか、
信憑性があるかどうか
で 悩んだときは、
その発信者たちが
「普段 幸せに生きているかどうか」に
着目してみてほしい
です。
不幸者の意見発信は 大半が
『自己正当化』と
『自分の利益目的』
…
だから
『不幸者の意見は
高確率で無価値』
である…
この一事が、
あなたが真実を見極めるさいの指標
になれば さいわいです。
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