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子供の声をうるさがる大人を批判する前に


 ■ 子供の声をうるさがる大人
       を 批判する前に

執筆 2024年 10月26日 

『幼稚園・保育園の近くに住む住人が、
子供の声がうるさいと苦情!』


『この日本では、
子供がノビノビと育つ環境すら
失われている!』



皆さんも、最近
この手のニュースを聞くことが多くなった
と お感じではないでしょうか?





そして、
この手のニュースが出るたびに、
SNS や ニュースコメント欄 では

『子供の自由な遊び場を奪った大人が、
どの口で文句を言うか!』


『子供の声をイヤがるような奴は、
子供ギライか 頭のおかしい奴!
若者の未来を奪う老害だ!』

みたいな意見が あふれ、

その手の意見に
大量の「イイネ」が付けられ、
もてはやされる
のが
昨今の通例となっています。


Childish Teacher の いつもの綺麗事




しかし 僕は、あえて
この風潮に 異を唱えます。


それは、
この手のニュースを報じる「マスコミ」や、
「それを評する連中」の意見の大半
に、

下記の『重要な3つを視点』が
欠けている
ことを懸念するからです。




【目次】

  ★子供の声は 実際うるさい(耳に つきやすい)

  ★現代は、近隣住人の つながりが希薄

  ★他人の子供に感じる愛着は、
   「その親」の人間性と密接な関係にある


  - 子供の味方をするのであれば
   『本物の大人』であれ




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子供の声は 実際うるさい
(耳に つきやすい)



「女性や子供」の声は、
一般的に「男や大人」に比べて

高音 です。


これは、高音のほうが
よく通って周囲に感知されやすく


「女性や子供」の存在に
「男や大人」が気づき、


それらの位置を把握したり
守るのに適しているから…

なのだそうです。



逆に言えば、

『女性や子供の声は、人間にとって
基本的に うるさく感じやすいもの
(耳に つきやすいもの)』
なのです。





この点を、
好き嫌いは別とした「事実」
として 認識しておかないと、

「園児の声を うるさがる住人」の
ニュース
真実を 見誤る
危険があるのではないでしょうか?

 



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現代は、
近隣住人の つながりが希薄



「子供は どの子も かわいい」
というのは一般論ですが、

顔見知りで 気心も知れた
よく知っている子
と、

今日 初めて出会う子 とでは、

そこに感じる「愛情の深さ」が
異なるのは当然
ですよね?





そして 昨今は、
「多様性」「自分らしさ」が
大事にされすぎた
結果、

「近隣住人との付き合いが 皆無」
な 人も珍しくない
『人間関係が分断された社会』
が 蔓延しつつあります。



つまり、
『近所に住んでいるのに、
顔すら見たことのない子供
(せいぜい 声を聞く程度の)』も、
確実に増えつつある
わけです。

 



顔見知りであれば、
たとえ 大声が響いてきた としても、

その子の笑顔を思い出して、
「まあ、ある程度の大声は
ガマンしてあげようかな?」


「大きな声だな…
それだけ 元気に育ってるってことだな」

ぐらいに感じられるものですが、




見ず知らずの子供の声 に、
同様の感覚を抱くのは
ちょっと 難しいものです。




「子供の声に怒る大人が増えた!」
と 嘆く前に、

「そもそも、その子供を、
近隣住人の輪の中に入れる
(周知させる)努力
を、
親は果たしているのだろうか?」


という点を、
この手のニュースを論じる際には
確認しておきたい所
です。

 



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他人の子供に感じる愛着は、
「その親」の人間性と
密接な関係にある



たとえば あなたが
「親子連れ」を見たとき、

その親が、
周りの人にもキチンと心配りのできる
丁寧な人
である場合と、

横柄で傍若無人に振るまう
893 のような人間
であった場合、

『その子供』を
どちらも かわいいと思えますか?






少なくとも
僕は 思えませんね。


なぜなら『子は 親の鏡』

自分勝手で 頭の悪い親
育てられた子供は、

本人に よほどシッカリした
自覚が無いかぎり、

「親の性格をキッチリ受け継いで」
同様の 傍若無人な人間に
育っていくもの
だからです。




(子供にとっては「親は神」なので、
親のやっている事に疑問を抱くことは 特に幼少の頃は ほぼ無く、
良くも悪くも 親の言動を そのまま吸収 してしまいます。

ある程度の年齢になって、周囲から学習したり、
自ら大失敗をして「もしや自分は変なのでは?」
という 自身への疑問 が 芽生えないかぎり、
「自分の おかしさに気づけないまま、
人生を歩んでしまう」
ものなのです)





この手の
「子供の声に怒る近隣住人」
ニュースを読むときは、

「その 大声を出している子供の親は、
どういう親なのか?」


「園児であれば、
その園はどういう園であり、
近隣住人との関係は どうなっているのか?」


ぐらいは
最低限 確認しておかないと…


あなたが擁護している子供が
実は「893 の子」
だったり、

あなたが擁護する園が 実は
「おかしなカルト団体の運営施設」

だったりするかもしれませんよ?

  



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子供の味方をするのであれば、
「本物の大人」であれ



たしかに
『子供の味方』をすると、

自分が 立派な大人
なったような気がします…



また、普段 年長者に認められる
経験が少ない


あるいは 年上の人間に
かわいがられた経験が薄い

人にとっては、

子供の味方をすることで、
同時に「大人批判」も行える ため、

自分を大事にしない(?)大人 に 対して
『これだから年上は!』と
結果的に 一矢報いてやった
気持ちになり、
爽快になれる面もあるでしょう…





ですが、
あなたが 本当の大人 であるなら
「客観的視点」
失うべきではありません。


「子供の声は かわいいもの」
という主観による決めつけを廃し、

「より広い視点(時間・空間・関係)」
で 物事を俯瞰しないと、

ときに それは
幼稚な『自己正義』に
溺れる醜態
へと、
自らを陥れてしまうことでしょう。

 



子供の味方 をしたいのであれば、
何より 自分自身が
キチンと『大人』であるべき

なのです。



自分の腹の底にあるウップンにも
気づけない子供(ガキ大人)
が、

別の子供を擁護しているように見えて
実は 自分のドロドロしたウップンを
大人や社会に吐き出してる姿
なんて、

薄気味悪いにも
ホドがあります
から…

 




ちなみに 下記は、
僕が以前に書いたページになります。

『「子供・若者の味方」を
表明する大人は 信用できない』




過剰に 子供の味方を
したがる大人
は、

その心の底に
『現実社会への 根深いウラミ』を
抱えている場合が多い
もの…


「子供擁護」は そのための 踏み台

「子供のため」という
聞こえのいい言葉でバリアをはって、
安全地帯の中から
社会に仕返しをしたいだけ

なんですよね。

  




子供の声をうるさがる大人を批判する前に


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