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ノイジーマイノリティに「アンチ」など付きません


 ■ ノイジーマイノリティに
  「アンチ」など付きません

執筆 2025年 04月23日 

最近『アンチ』という言葉を
勘違いして使っている輩

多いなぁ… と 苦笑しています。





たとえば ネット上では、
極左(過激な左翼)や
一部の過激フェミニスト、
怪しげな人生成功系サロンのメンバー

といった
いわゆる ノイジーマイノリティ
(騒々しい少数派)
どもが

『アンチが 我々を
攻撃してきたあぁぁぁ』

などと 被害者ぶっているのを
頻繁に見かけますが…


そもそも ノイジーマイノリティには
「アンチ」など まず付かない
という事が、
どうして理解できないのでしょう?




今の日本で有名なアンチといえば、

「過激な左翼(アンチ自民党)」
「過激なフェミニスト(アンチ男性)」
「アンチ●●(有名人)」
「アンチ巨人」 「アンチ東京」

などがあります。



ところが、
「アンチ左翼」
「アンチ フェミニスト」(アンフェ)

左翼自身や フェミニスト自身が
「そういう連中がいる」と言い張ってるだけ
で、
正確には「アンチ」ではない
んですよね。


(繰り返しますが、この場合の「左翼」「フェミニスト」は
『一部の過度な連中』を指します)




というわけで 今日は、
ページ前半
『アンチというものの 定義と実態』を…

そして ページ後半
『ノイジーマイノリティたちが
「アンチ」だと思いこんでいたものの正体』

を 説明していこうと思います。

 



【目次】

  - そもそも『アンチ』とは?

  - アンチを自己正当化させる『ルサンチマン』 1

  - アンチを自己正当化させる『ルサンチマン』 2


  - だから「アンチ左翼」や
   「アンチフェミニズム」は生まれない

  - ノイジーマイノリティが「アンチからの攻撃」
   だと 思い込んでいたものの正体

  - 「アンチがいる」と思い込むことで得られる
   『いつわりの結束感』(仮想敵)

  - さいごに





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そもそも『アンチ』とは?



まず大前提として『アンチ』とは
(カルト的な)信者 と 対極をなすもので…


信者
自分の所属する集団や 好ましい対象を
盲目的に 全肯定・溺愛 するのと同様に、

アンチ
自分の嫌いな団体・対象を
盲目的に 全否定・嫌悪 する…

そうした意味合いで
使われる言葉です。






「全否定」という
言葉からも分かる通り、
アンチの思考には
「1か0」しかありません。



「この部分は 嫌いだけど、
この部分は 共感できる」

といった 中間点・中間色
存在しないのです。

『坊主 憎けりゃ、袈裟(けさ)まで憎い』という
ことわざは有名ですが、まさに あの感じです)






つまり、
「○○さんの、こういった部分は嫌いです」
といった嫌い方ではなく、


『○○が やっている事は
もう とにかく全部 嫌いだし、


○○が やっているんだから
悪事に決まってるし、


○○を嫌わない奴は
頭が おかしいに決まってるから
俺に(私に)近寄ってくるなあぁ!』

みたいな、

理論性ゼロの 頭のおかしい感情論に
支配されている厄介者…



それが『アンチ』という
生き物なのです。

 


(同様に「信者」は、『○○がやっている事は
もうとにかく全部好きだし 正しいに決まってるし、
○○を好きな人となら 誰とでも絶対 仲良くやれる自信あるわ!』

みたいな 理論性ゼロの 感情論 に 支配されています)




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アンチを自己正当化させる
『ルサンチマン』 1



さて、
『アンチ』というものの
定義は分かりましたが…

これだけでは
「アンチ左翼」や
「アンチフェミニスト」が
生まれない説明には なりません。






昨今の 左翼 や フェミニスト の
暴挙
を見て、

彼ら・彼女らを嫌っている一般人
確実に増えてきているのに、

そうした人々が
『アンチ』までは行かない

(「ここは嫌いだが、ここは共感できる」
といった客観性を保っている)

のは なぜ でしょう?



それは、
『ルサンチマン』
ではない
からです。

 




『ルサンチマン』とは
「自己正当化」心理 の 一種です。


『自分が手に入れられないものを、
不要なものに決まっている!
思いこもうとする心理』



『世の中の底辺である
自分たちこそが 立派 で、
上位の者たちは
人間的に我々より劣っている! と
思いこもうとする心理』



そんな、
イイワケ心理
の事なのです。

 

(イソップ童話の『すっぱいブドウ』は、
まさに この ルサンチマン についての物語です)





たとえば

「成功者や 有名人や お金持ちは、
私利私欲にまみれたクソ人間だ!


一方 俺は失敗ばかりで
無名でビンボウだが、
欲望に踊らされない、心が美しい人間だ!


本当に人間的に価値があるのは
俺のような生き方をしている
人間の方なんだあぁぁ!」





みたいな、

もう文章を打ちながら
恥ずかしさと 痛々しさで
床を転げまわりたくなるようなこと

「真顔で主張しちゃう」ような、
そんな 憐れな輩の心理 を指します。



心の美しい人間が、自分自身の事
「俺は心が美しい」なんて言うか?


みっともない…

 



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アンチを自己正当化させる
『ルサンチマン』 2



でも なぜ、

「ルサンチマン」に
おかされている人間は
『アンチ』になれる
(なってしまう)

のでしょう?


それは ルサンチマン
『自分の理性のリミットを
壊していい イイワケ』

として機能する からです。






普通の人であれば
理性 が 働きますから、

アンチ行動 を 行うときに
どうしても「躊躇」や「手加減」が
生まれます




ところが、
ルサンチマンによって

『自分たち 少数派・底辺・その他大勢 こそが
心が美しい正義 であり、


多数派・成功者・人気者どもは
死に値する悪 である!』と
妄信してしまっているバカども
には、

この「躊躇」や「手加減」が
存在しません。



思考が『1か0か』に
「単純化・極論化」しがち

だからです。





つまり、

普通の感性の人であれば、
あくまで「嫌い」止まりで、
アンチにまでは至りません が…


本人が「少数派」や「底辺」であり、

「多数派・人気者」の
「賛同者の多さ」や
「世間の賞賛の多さ」を
妬(ねた)む気持ち
マグマのように ためこみ


そこに『ルサンチマン』による
「自分の妬み行為の 自己正当化」
が 加わって、
理性のタガが外れた
とき…


一部の 自己管理ができない
幼稚な愚か者
が、
『アンチ心理』に 陥る
のです。

 



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だから「アンチ左翼」や
「アンチフェミニズム」は
生まれない



それと 気づいてみれば、

なるほど、
「アンチ左翼」や
「アンチフェミニズム」が
生まれないのも 道理
です。



なにしろ(過激な)左翼
(過激な)フェミニスト は、
あくまで
少数派(マイノリティ)


しかも、自分たちの主張を
感情的に甲高くわめき散らすだけの
『ノイジー マイノリティ』

すぎません。





一方で、
彼ら・彼女らの暴挙に
腹を立てている側

当然 多数派(マジョリティ)で、

『ルサンチマン』による
自己正当化とは 無縁の層

です。



したがって
『理性のタガが外れる』
こともマレ
で、

アンチのような
「0か1思考」や
「相手が死んでも かまわない」
といった極論にも走らない
わけです。

(それゆえ、はたから見ると「多数派」のほうが
弱気というか 守りに入っているように
「見えてしまう」
難点もありますが…)


 




特異で身勝手なイデオロギー のせいで
自業自得で『少数派』になった
底辺連中
なんぞに、

どうして わざわざ『多数派』が
アンチ行為(笑)など
しかける
と 思えるのか…?


勘違いと 思い上がりも
大概にしろ
と言いたいです。

 



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ノイジーマイノリティが
「アンチからの攻撃」だと
思い込んでいたものの正体



さて、

ここで もう1つ
疑問 が 残ります。


「ノイジーマイノリティには
アンチが付かない」
のは
分かりました。


でも だとしたら、
連中が
『アンチからの攻撃がーー!』
と わめいていたもの

一体 何だったのでしょう ??





「うるさい少数派」である
彼ら・彼女らが
「アンチ行為」だと
思いこんでいた
もの…


それは 周囲からの
『正当な 指摘』
『正当な 批判』

だったのです。

 




ノイジーマイノリティが
脊髄反射で ダブルスタンダードに満ちた
「政府批判」「社会批判」「男性批判」

などを行えば、

周りの人々が
「バカだなぁ」と 苦笑しつつ
間違いを指摘・批判してくる
のは
自然な流れですよね?



その指摘や批判が、
ノイジーマイノリティにとって
『都合が悪い 事実・真実』
『反論できないほど
痛い所を突いてきたもの』

であればあるほど、


彼ら・彼女らにとっては
『許しがたい 理不尽な攻撃!』
『自分たちをツブすための
卑劣なアンチ行為!』

錯覚 してしまっただけの事だったのです。

 

(幼児性の強い人には、
「自分に都合の悪い物事を『悪』と思いこむ」
厄介な性質があるのです)





そもそも、たとえば
「嘘つき」や「泥棒」や「詐欺師」を
批判する人
のことを

『アンチ 嘘つき』
『アンチ 泥棒』
『アンチ 詐欺師』

などと 言いますか?


言うわけがない。




一般の人々が
ノイジーマイノリティを批判するのは、
「アンチ」だからではなく、

ノイジーマイノリティの
やっていることが
『個人の価値観の 押しつけ』
『卑怯行為』『悪事』『社会迷惑』

に まみれている
から、

「普通の一般人として」
批判・指摘・苦言している

だけの事…



そして、異常なイデオロギーを持つ
ノイジーマイノリティ
の 目には、

「普通の人々の 当然の腹立ち」が
『アンチ行為のように 見えた』


それが、
両者の認識の相違の 正体
だったのです。

  



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「アンチがいる」と思い込むことで
得られる『いつわりの結束感』
(仮想敵について)



そうそう、
最後に もう1つ





実は、この手の
ノイジーマイノリティや
カルト団体
は、

「自分たちは 世間のアンチによって
攻撃されている!」

『勘違いする』ばかりではありません。



一部の人間は、あえて
仲間連中を そのように
『勘違いさせる』ために
心理操作
したりもするのです。

 




「なんで わざわざ そんな事を ??」
驚かれた人もいるかもしれませんが、

これは つまり
『 仮想敵 』
(かそうてき)
という概念を使っているのです。



「人と人とは、
共通の敵を前にしたときに
最も強く団結する」
ため、

実際は敵がいなくても、
適当なものを『敵』に設定
することで、

団体内に
「いつわりの友情」
「いつわりの結束」

発生するよう
心理操作
しているわけです。

  




「仮想敵」などと言うと、
すごく特殊なもののように
思えるかもしれませんが、

(多くの皆さんにも なじみがあるものとしては、
たとえば 日本の周辺国による『反日教育』があるのでは?)



実は皆さんは、常に周囲から
「仮想敵」を信じこませるための
様々な心理操作に
さらされている
のです。





たとえば

『政府(自民党)は 民衆のことなど
これっぽっちも考えず、
自分たちが甘い汁を吸うことばかり
優先している!』
などと
左翼マスコミあたりに吹き込まれて、

政府を 民衆の敵 と思い込む
「過度な左翼思考」になっていませんか?



『日本は男社会であり、
私たち女性は男どもの奴隷である』

などと言われて
「片寄った過度のフェミニズム」
はまりこみ、

周囲の男性が 全て敵
「性犯罪者 予備軍」
見えてしまっていたりしませんか?



若い頃に
『大人は 若者の敵だ!』
『大人に逆らうことはカッコイイ!』

と 吹き込まれて、

今も 年上に誰彼なく噛みついて
会社などで孤立
し、
そのイライラや孤独感を紛らわすために
「大人をバカにする本や音楽メディア」を
買いあさったり
していませんか?



『地方は 東京に搾取されている!』
地方(の左翼)マスコミに煽られて、

東京人を呪ったり、必死に小馬鹿にしたり、
反動で「過度な地元愛」(村意識)を
発揮してしまったり

していませんか?

 




それらは全て、

誰かが あなたに
『 仮想敵 』を 刷り込み、

「作りものの 危機感」
「作りものの 敵対心」
煽ることで、


おかしなイデオロギーにかぶれた
構成員として使いたおし
たり、

大して必要でもない商品を、
不安感を紛らわすために買わせたり

するための 心理操作に、

マンマと引っかかってしまっている
証拠なのです。

 




つまり、
ノイジーマイノリティたちが
発揮している
『異常な 仲間意識』の 正体とは、

その手の団体の支配層 や
背後にいるマスコミ

計算ずくで仕かけている、
仮想敵を悪用した
「いつわりの結束感」




そんな代物にマンマと踊らされて、

『我々は、外部から
理不尽な攻撃を受けている!


私たちは
「敵」に負けたりしない!


今こそ 結束! 連帯!
共闘せよ!』

などと 自己陶酔する、

愚かな孤独者たちの
悲惨な「友情ごっこ」

だったのです。

  



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さいごに



まとめると…

『ノイジーマイノリティには
アンチなど付かない』



『ノイジーマイノリティが
「攻撃」だと思いこんでいるのは、
世間からの「まともな指摘・反論」



『「世間は我々を攻撃してくる!」と
構成員に思いこませることで
強烈な結束力を生ませる、
コスズルい「操作者」が 存在する』


といった所でしょうか。






「私たちへのアンチ行為は やめよ!」
などと 発狂している
ノイジーマイノリティの皆様方には、

「そもそも 私たちの言動は
まともなのか?」

という基本に立ち返った
自己客観視
切に求めたいところです。



『テロ』とかに走って、
本物の社会迷惑
なってしまう前に…
ね。

  




ノイジーマイノリティに「アンチ」など付きません


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