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個性の正体


 ■ 個性 の 正体

執筆 2011年 11月07日   更新 2024年 10月27日 

『個性』という言葉は、
非常に魅力的ですよね。


皆さんの中にも きっと、

「周りの人に 個性的だと思われたい」

「他人と同じような 没(ぼつ)個性な自分、
集団の中に埋もれるような自分では
ありたくない」


という 思い・願いが
あると思います。






そんな皆さんに、もし 僕が

『無理に個性を追い求めた結果、
かえって「没個性」な自分に
ハマりこんでしまう危険があります』

と 言ったら、

きっと あなたは
驚かれるのではないでしょうか?





以下で語る話から、あなたが
『個性 の 正体』
『個性 の 本質』

について考えていただければ…
うれしいです。

 



【目次】

  ★ どうして 人は『個性』を欲しがるの?


  - 個性を求めた結果『没個性』にハマりこむ人

  - 他人と違う=個性… 『ではない』

  - 差別化を『目標』にするのは 本末転倒

  - ノイジーマイノリティは『没個性』の1つ


  ★ 『本物の個性』を身に付けるには

  ★ 個性は『人生の年輪』




【下へ 続きます】



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どうして 人は
『個性』を欲しがるの?



そもそも、どうして 人は
『個性』を 欲しがる
のでしょう?


僕は そこには
『生存本能』
深く関係していると 見ています。





僕たち「動物」は、
『自分の生存』を最大の目的とし、
同時に それを最大の幸せと感じる

ように できています。

(安心できる仲間に囲まれていたいと思うのも、
少しでも安定した会社に入り、お金を稼いで貯金をし、
シッカリした家を建てて安定して暮らしたいと願うのも、
全ては『自分の生存確率の向上のため』です)




しかし、生物は いつか
必ず死んでしまいます。



そこで、
自分の命が終わっても、
せめて 自分の DNA を受け継ぐ生物(子孫)に
生存していってくれる
こと…

つまり、
『自分の DNAを、
より高い確率で次代に遺すこと』を
人生の喜び・人生の目的と
認識するようになった
わけです。

 




でも、仲間を得るにも、仕事に就くにも、
ステキな異性と出会って子作りをする
にも、

まずは「他人の目にとまる」ことで
『相手の選択肢の1つとなる』
必要があります。


しかし、
世界には人間があふれかえっているので、
それは 容易な事ではありません。



自分が 一輪の花 だとしたら、
広々とした花畑一面に咲く
「似たような色合いの花たち」
の中にいるようなもの
なのです…





ところが、たとえば
「広々とした 黄色い花の畑」に、
ポツンと 赤い花 が咲いたとしたら、
どうでしょう?

黄色い海の中の 赤い点は
とても目立ち、
誰かの目にとまる可能性を
(第三者との出会いの可能性を)
アップさせる
はずです。



その「他者との 相違点」
「他者との 差別化」

となりうる要素の1つが『個性』


だから人は
個性を欲しがる のです。

他人と違う部分を持つことで、
「群衆の中で 自分を目立たせ」
「出会いの確率をアップさせ」

『自分の DNAを遺す確率を
上昇させる』
ために…

 



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個性を求めた結果
『没個性』にハマりこむ人



「個性があれば、自分の DNAを
遺せる確率が上がる」


と なれば、
個性を欲しがらない人など
いるはずがありません。






毎日のように、
テレビや 紙面・ネットに
「個性的な自分になるために
何をすべきか」的なコラムが踊り、


「自分らしさ」「あなたらしさ」
といったキャッチコピーを掲げた商品が
市場にあふれかえる
のは、


そうした
「没個性を恐れる 生物の本能」
テレビや新聞・雑誌・ネットを通じて煽り、

大して必要でもない商品を
民衆に買わせ
たり、

扱いやすいユーザーとして
囲い込んでおく
ための
テクニックの1つでもあるのです。

 




しかし、他人に指示されたり
アイテムで手に入れた「個性」
など、

自分の血肉にならない
一時的な装飾品
に すぎません。



自分の言動が 矛盾したり、

身につけていた高級品や肩書きを取ったら、
途端に みすぼらしくなった…

という ボロ は、

見る人が見れば
簡単に看破されてしまいます。




このページの最初に お話した
『無理に個性を追い求めた結果、
没個性な自分にハマりこんでしまう
危険がある』
とは、

まさに こうした状態の事なのです。

 



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他人と違う=個性… 『ではない』



そして、これが本当に
重要 な 点なのですが…

『他人と違うこと(相違)は、
必ずしも「個性」とは かぎらない』

のです。
(理由は 後述します)





これを勘違いしている人は
『他人と違うことをしたり、
他人と違う外観になる事』

個性 だと思い込んでいるため、

自分の本心にそぐわない言動を
無理に行ったり


本当は そんなに好きでもない
衣装や装飾を
無理に身につけたり
します。



その結果、
『本当の自分(の 欲求)』を
見失いがち
になり、

柱の無くなった心のまま、
「実は没個性な自分」を
加速させていく
ことになります。

 



人気の落ちてきた
テレビ番組や 漫画・ゲーム・
お笑い芸人・ユーチューバー など
が、

過激化したり 奇行に走って
よけいに不人気を加速させていく


そんな 負のスパイラルを、
皆さんも ご覧になった事が
あるのではないでしょうか?



目先の利益・実績のために、
無理に「個性」「差別化」を
でっちあげ
ても、

「本人が心から望んだり
本心から出た言動」ではない

ために 全体としての統一感が壊れ、

ますます『自分が失われ』
迷走にハマり込む
わけです。

 



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差別化を『目標』にするのは
本末転倒



また、「個性を手に入れるために」と
他人と異なること(差別化)を
「目標」にしている
時点で、
そもそも 本末転倒 とも言えます。



なぜなら、それは

「結果的に、他人の思考や状態に
振り回されているだけで、
自分の信念(心の柱)が無いのも同然」

単なる『アンチ状態』
だからです。

「Aのやつが白を選んだから、自分は赤を選ぶぞ。
本当は自分も白が好きなんだけど…」

という思考の人間がいたとしたら、
その人が 結果的に「Aさんの選択に振り回されている」
のは 一目瞭然ですよね)






僕はこれを
『信者とアンチは 同じもの』
と 称しています。


「妄信」するのも、
「完全否定」するのも、
「無思考」という意味では 同一
なのです。

(むしろ、「自分で選んだ」と勘違いしている分、
「アンチ」のほうが数段 根深い とすら言えます)


 




無思考な人間 が、
個性的になぞ なれるはずが
ありません
よね。
(他人とは違う『変な奴』には なれるでしょうが)



「平均・標準への アンチ」は、
決して個性などではない…


それは むしろ
姿を変えた『没個性』
なのです。

 



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ノイジーマイノリティは
『没個性』の1つ



あと、

世の中の いわゆる
「ノイジーマイノリティ」も、
(声ばかり大きい 少数派)

この手の
「個性を勘違いしている輩」の
1形態
と 考えれば、説明がつきます。





「本物の 個性」を持ってていない
「心の柱が グラグラな人間」が、

『少数派に属することは、
多数派よりも 個性的だ!』
という 勘違い
を おこし…


世の中の 多数派・メジャーな存在
(政党なら「自民党」、都道府県であれば「東京」、
ゲームメーカーなら「任天堂」、プロ野球なら「巨人軍」など)

に 対して
頭の悪い感情論による徹底批判
を 繰り返すのです。



彼ら・彼女たちは そうする事で、
『個性的な 自分』(?)に
自己陶酔したり 溜飲を下げたり

しているわけですが、

なんとも 幼稚で 無様で
憐れな姿
に、
ため息をつかずにおれません。

 




ちなみに、こうした連中の
ミジメな 勘違い行動 の 背後には、

その手の一部民衆を扇動しようと企む
「左翼マスコミ」による
心理操作・情報操作

無関係ではありません。


『人気者を批判し、
体制に反逆できる あなたは、
大衆心理に流されない
立派で 個性的で 先進的な 人間!

といった 薄っぺらい誉め言葉で、

未熟ゆえに褒められる経験の少ない 若者
などを、言葉巧みにイイ気分にさせ、
「自分たちの手駒」として
飼いならす
手口は、

いつの時代も変わらぬ
「反体制」組織の 常套手段



この事実は、
この社会で生きる者として
知っておいて損は無い 基礎知識
だと思います。

 



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『本物の個性』を 身に付けるには



さてさて、

ここまで
『個性のようで 個性ではないもの』
を 説明してきましたが…


ならば、どうすれば
「本物の個性」は 身に付くのか?

について お話ししましょう。





…といっても、僕が ここで
それを ガッツリ説明 してしまっては、

それこそ先述の
「毎日のようにテレビや紙面に踊る、
個性的な自分になるためのコラム」

と 同じです(笑)



なので僕は 皆さんに
『基本を 1つだけ』
お伝えしようと思います。


それは、
『個性とは、他人と異なる事ではなく、
自分の欲求に 真に率直になった
果てに、手に入るもの』

という一事です。






つまり、

もし あなたが
心の底から望む生き方をした結果
「他人と同じような状態」になった

からといって、

それは決して 没個性 ではなく、

むしろ 明確な個性である
という事です。



一見 他人と同じような
外観・思考
であっても、

あなたが心から望み、
心から納得しておこなった
言動の数々は、

あなたの中に
ゆるがぬ「心の柱」を
構築します。




それは、
一朝一夕では
決して身に付けることはできない、
自らの血肉 と 化した「あなたらしさ」



まぎれもない
『本物 の 個性』なのです。

  




皆さんも、
一見 どこにでもいるような一般人
話をしていて、

「あれ? 何か他の人とは違う…
この人独特の「色」を感じる…」


「この人の なんでもない言動が、
不思議と記憶に残る…」


という感覚になった事は
ありませんか?





それは あなたが、
その人の『確固たる個性』
垣間見ているからです。



本物の個性とは、
本物だからこそ、
一見 目立たないもの
ですし、

ガッチリとした個性を持つ人 ほど、
かえって その強烈な個性で
他人と ぶつかってしまわないよう、
ひた隠しにしている
ものなのです。

(それでも隠しきれなかった部分が、
あなたの目に「垣間見えた」わけですね)


 



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個性は『人生の年輪』



しかし、こうして
「個性の正体・仕組み」
分かったからといって、

誰もが 個性的になれる
わけではありません。






なぜなら、
「自分の欲求に 真に率直になる」
ためには、

ある程度の
「周囲からの 信頼」
「金銭的・時間的余裕」
「自己客観性」

が 不可欠だからです。



これが つまり、

誰もが『個性的でありたい』と
願いながら、
誰もが なれるわけではない

現実の実態なのです。

 




そう考えれば、
普通の人が 若い頃から
「バツグンの個性を持つ」ことが
ほとんど不可能 であり、

むしろ 若い頃は
「没個性」なぐらいが
当たり前
だという事実が、

皆さんにも ご理解いただけるのでは
ないでしょうか?





個性 とは、
本当に自分の やるべき事を
黙々とこなし 追求した結果、

自然と そなわる
『人生の 年輪』です。


その年輪が、
他人と違うものになるか、
他人と類似なものになるか
は、

それは単なる 結果論





「本物の個性」
が 欲しければ、

本気の本音で 今日という日を生き、
人生を歩み続けてみて下さい。




何年か後に
ふと 立ち止まった時

すでに 自分の中に
『ゆるがぬ個性(心の柱)』が
備わっていること
に、

あなた自身が気がつく日が
きっと 来るはずです。






その時 あなたは、

今日 僕が お話した
『個性とは、他人との相違点の
ことではない』
という説明を、

きっと なんの抵抗もなく
すんなりと納得して下さる
ことと、
確信しています。

  




個性の正体


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