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フェミニストがオタクを憎悪するのは『同族嫌悪』


 ■ フェミニストが オタクを
   憎悪するのは『同族嫌悪』

執筆 2024年 04月23日 

一部の フェミニスト

「萌えアニメ・萌え漫画・
萌えゲーに耽溺する
一部の男性オタク」

憎悪むき出しで 大批判をする


皆さんもネットなどで、
一度は目にされたことがある
光景かと思います。






たしかに
「萌え」に深々とハマりこんで、

冗談とはいえ
「3次元(実在の女性)には興味ない!」
と 語る一部のオタク

不快さ(ブキミさ)を感じることは、
僕にも あります。





でも、だからといって、

個人の趣味 の中だけで完結して、
他者(現実の女性)を必要とせず、

したがって 現実の女性に
危害を加えることも無い

萌えオタ」
に、

どうして フェミニストが
あそこまで 躍起になって
食ってかかる
のか…



考えてみれば
不思議 というか、

理に かなっていない
気がしませんか?






当初 僕自身は、フェミニストが
「自分の好き嫌い」と「善悪」をゴッチャにして、
オタク攻撃に 正義感
感じているんだろうなw

ぐらいに思っていたのですが…






ある日、
ふと気づいたのです。


これって 実は
『同族嫌悪』(どうぞくけんお)
なのでは…? と。





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『同族嫌悪』とは、

人間が「自分と似た性質を持つ 他人」
感じる不快感
のことです。






普通に考えれば
「自分に近い趣味や思考を持つ 他人」
であれば 親近感 を感じて
仲良くできそうなものですが…


相手が あまりにも自分に似すぎている と、
『もう1人の自分』のように思えて
かえって 不快というか
恐怖を感じるようになり、

それが 嫌悪感
つながってしまうのです。

(私たちの体の中にある DNA「多様性」を高価値とするので、
自分と似すぎている存在を排除しようとする心理が
自然と働いてしまうのかもしれません)







しかし「同族嫌悪」と言っても、
フェミニストと オタクに
そこまで深い類似点があるのか?
と、
あなたは首をかしげるでしょう。



実は、あるのです。
深い深い 類似点 が。


それは…

『彼ら・彼女らが摂取している
情報・作品の 根本的な傾向』
です。

 



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まず、萌えオタク
摂取する作品といえば

萌えアニメ・萌え漫画・
美少女ゲー
あたりになります。





その内容は、

『主人公の少年・青年の周りに、
さまざまなタイプの女性が
自然と(不自然に)集まってきて、

さまざまな事件(笑)を通して
時に主人公を拒絶するも、

結局 最後は
主人公にベタ惚れになる

という、

ご都合主義の カタマリ
のような構成になっており…



その手の男性ヲタクは
その物語の主人公に
自分を重ね合わせることで
自らの欲望・欲求を疑似的に満たして


溜飲を下げたり
満足げにウンウンうなずく

わけです。

 


(上記のケースは「男性の萌えオタク」ですが、
言うまでもなく「女性オタク」にも同様の嗜好があります。

その場合は もちろん、「主人公の女性に、さまざまなタイプの
男性キャラが言い寄ってくる」
流れになります。

この手の女性オタクは たしか「腐女子」「腐オタ」
などと 呼ばれていたはずです )




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一方、オタクの こうした行動を
蛇蝎(だかつ)のごとく嫌って
大批判している

一部のフェミストたち(女性)
は どうでしょう?






彼女たちが好んで摂取する
情報・作品といえば
『日本は 男尊女卑の後進国である!』
と叫ぶ 極左系のマスコミの
発行物 や ドラマ



あとは
『スカっとする話』
『スカッと系』

などと称される、

ハッキリ言ってしまえば
「自分の思い通りにならない
憐れな人生を過ごしている輩」向けの、
読者・視聴者に一方的に媚びまくった
目先の日銭・インプレ稼ぎ用の
漫画・小説・動画
です。




その内容は というと、

『主人公の女性の周りに、
さまざまなタイプの「男尊女卑」人間が
自然と(不自然に)集まってきて、

さまざまな事件(笑)を通して
時に主人公を拒絶するも、

結局 最後は主人公の
「世界は 男尊女卑である!」
という主張(いくぶん 女尊男卑)
完膚なきまでに論破され、
その御旗に屈服・感服する

という、

ご都合主義の カタマリ
のような構成になっており…



その手の偏向したフェミニストは、
その物語の主人公に
自分を重ね合わせることで
自らの欲望・欲求を疑似的に満たして


溜飲を下げたり
満足げにウンウンうなずく

わけです。

 





こうして並べてみると、
ビックリするほど
似てる
んですよね、
この2種類の人々の 傾向



フェミニストが ああまでして
異常にオタクに噛みつく
背景に、

『鏡に映して見る 自分自身』
への 恐怖と嫌悪感
があった
と 考えてみると、


色々と合点できるところがあるし、
フェミニストに 憐れさ も感じます。






もちろん、
「だからフェミニストを憐れみ、
気遣うべきだ」という事では
ありません



すでに 成人した
一人前の女性
なのですから、

『同族嫌悪』などに振り回されて
自分を見失うような 幼稚な言動
を 控えて行かないと、


いつまでたったも
「民衆からの 真の理解」は
得られないんじゃないの?


というのが、
正直な気持ちです。




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そうそう、

ちなみに最後に1つ
付け加えておくと…






今の 若い女性(一部)が
蛇蝎(だかつ)のごとく嫌う
『昭和の おじさん・おじいさん』が、

昔 大喜びで見ていた
テレビの『時代劇』
(チャンバラ)
も、


『弱い町民が、悪徳奉行などに
苦しめられている所に、
身分を隠した将軍家などの関係者
悪事の証拠をつかんで現れ、

その場で 手討ちにしたり
裁いたりする
という、

ご都合主義の カタマリ
のような構成になっておりました。



当時の お父さん・おじいちゃんたちは、
その物語中の 弱い町民などに
自分を重ね合わせる
ことで

社会という大きな流れの中で
思い通りにならないことが多々ある
自らの人生のウップンを疑似的に晴らし、

「やっぱり お天道様(おてんとうさま)は
見ているんだな〜」


「天網恢恢(てんもうかいかい)
疎(そ)にして漏らさず!」


などと言っては、
溜飲を下げていたのです、
知らんけど(責任のがれ)

 





こうして並べてみると、
僕は しみじみと思わざるを得ません。


我々 庶民の「本質」など、
時代を経ても 性別が違っても、
大して違いは無いのだなぁ
と…






しかし、
一部の過激なフェミニストたち は、

おのれの幼児性とも向き合わず
むしろ その沼にハマりこむ
ため、
そうした「本質の類似性」にも気づけず、


「似たもの同士」である 萌えオタ から
自分が感じる(錯覚してしまう)
『嫌悪感の 正体』も 理解できないまま、

生涯の怨敵 と 思いこんで
執拗なまでに 攻撃し続けている



これこそが、
『過激フェミニストによる
萌えオタ攻撃の 理由・実態』

であると、今の僕は確信しています。






取りあえず、
一部フェミニストには、

この世には『同族嫌悪』
というものが存在する事実と…



あなた方の目に映る
「男性オタクの 気持ち悪さ・異常性」
は、

実は そのまま、

世間の人々の目に映る
「過剰フェミニストの
気持ち悪さ・異常性」

そのもの
ですよ…?

とだけ 言わせていただきます。

  



(今回は話を分かりやすくするために、
「男性ヲタク」「フェミニスト」「昭和の おじさん・おじいさん」
などの特徴を あえて単純化して まとめてあります。

「そんな輩ばかりではない!」という意見も当然あるでしょうが、
「薄い灰色を 白」とし「濃い灰色を 黒」とした話と お考え下さい。
(そのため、クドいほど「一部」という単語をはさみました)

この主張を叩き台にして
皆さんが再考・討論していただければ、僕も うれしいです)






…と 書き終わってみて、
今回のページ作成で 自分、

「萌えオタ」「腐女子」
「過激なフェミニスト」「若い女性」
「昭和時代にサラリーマンだった人々」
総まとめで敵に回した のでは…? と
ちょっと心配になってきました。


うん、まあ…
しょうがないや(笑)






フェミニストがオタクを憎悪するのは「同族嫌悪」


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