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太宰治は、良い作家か 悪い作家か


 ■ 太宰治は、
   良い作家か 悪い作家か

執筆 2024年 03月10日 

『太宰治は、
良い作家か 悪い作家か?』

を 問う人がいます。



僕は そういう人々に、
逆に こう質問したい です。




『あなたが 癌(ガン)
なったとします。

その時 あなたは、

はっきり「癌です」と
伝えてくれる医者
と、

「大丈夫 大丈夫、
癌なんかじゃないですよ」と
ゴマかして安心させる医者

どっちを「良い医者」だと感じ、
ついていきますか?』
と…







もし あなたが
「ハッキリ病名を告げてくれて、
治療に邁進させてくれる医者がいい!」

と 断言できる人であれば、

きっと あなたは、
太宰治作品にも
スンナリ入っていける

と思います。





逆に、
「癌だとハッキリ告げてくるような
無慈悲な医者なんかイヤだ。
優しいウソで 安心感を与えてくれる医者に
ついていきたい!」
というのであれば、

『あなたに 太宰作品は、
まだ早すぎるか、
そもそも合いませんよ?』

と 断言できます。





なぜなら 太宰作品 の描くものは、
『人間の 真実や本質』


「事実 や 真実」よりも、
「耳に聞こえのいいウソ」
ありがたがるような人にとっては、

太宰作品は
残酷なまでに 急所(本質)を
ザクリと突いてくる

鋭利すぎる刃物
なってしまうからです。





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あなたが
なんらかの病気 に かかった時、

本気で病気を治したり、
治らないまでも
可能なかぎり延命したい!

と 思ったら、


つらくても
『正確な病名(原因)』を
知る必要がある
のは
当然のことです。






太宰作品の随所に
正確に描写されている
「人間の愚かさ・怠惰・卑怯さ」
いわば 症状のサンプル です。


そして その正体は、
誰の中にも(自分の中にも)
大なり小なり存在している
『幼児性』
なのです。



そうした 事実 を、
つらくても直視できる人 にとっては、

太宰作品は
『自分の症状(幼児性)と向き合い、
可能なかぎり それを克服し、
人生を前進させるための
非常に強力なヒント集

となり…



一方で、
「そうした痛みは ハナからごめんだ」
「自分は もう、大人として完成してるんだ」

みたいなことを口走る人にとっては、

太宰作品は、
あなたが治すつもりもない
「傷跡」や「病気」、
「数値の悪い健康診断結果レポート」
を延々と見せつけてくる
嫌悪・恐怖の対象

でしかなくなるわけです。






もう お分かりになったのでは
ないでしょうか?

太宰治や 太宰治作品の
見え方(良し悪し)を左右
しているのは、
あなた自身 です。



つらくても 現実を直視したい人
にとっては、

太宰治は
「名作」を数多 生み残してくれた
すばらしい大作家
であり…



世の中に あふれている
『現実から目をそむけたり、
一時的な快楽を得るのに好都合な商品』
ばかりを摂取してきた人
にとっては、

太宰治は
「目をつぶり 耳をふさぎ続けてきた
あなたの眼前に、
ググッと「真実」を突きつけてくる、
殺してやりたいほど憎らしい
悪のオセッカイ作家

認識されるのです。

 



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「人生の迷い」は、
病気 と似ています。


自分の中の病巣(幼児性)
向き合う覚悟を持てず、

その場しのぎ・問題の先送り
でしかない「対処療法」では、
ただ むやみに 通院が長引くだけ


完治など、ありえない のです。



(ただ、正確には「幼児性」は病気ではないので
「完治」は ありえませんが(笑)

それに振り回されてしまわないよう、
どこまで自分の中でコントロールできているか? の違いが、
その人の 人間的深み を左右しているのです)




あなたが もし本気で
太宰作品に興味を持った時、

『一時的な痛みの後に 必ず、
あなたの前進がありますよ』
と、

この1点に関してだけは
僕は 胸を張って断言できる
のです。





(太宰治については こちら でも もう少し長く語っております。

恥ずかしながら 僕も昔は「作品を読みもせずに」
太宰治のことを「金持ちボンボンの不幸ゴッコ」と
鼻で笑っていた1人 なのです。

ちなみに自分は、独学で心理学などをある程度かじってから
30歳ぐらいで ようやく「太宰作品」に
本格的に ふれるようになりましたが…

これは非常に 良いタイミング であったと思います。

もし 心理学的に無知だったり、もっと若かったり したら、
太宰作品に描かれている「人間の本質」を理解できないか、
ショックが大きすぎて人間嫌いになっていた
かもしれません。

「効果の高い薬は、ときに毒にもなる」

太宰作品は、その典型だと思っています。


よくネット上などで、
『太宰治なんぞは社会不適応者だ! 青臭い 甘えん坊だ!』
などと批判したり、
『俺は私は、太宰みたいに有名じゃないけれど、
毎日を真面目に文句も言わずにコツコツ生きている、
太宰なんかより はるかに立派な人間だ!』
みたいな事を宣言しては
仲間内から「イイネ」をもらって いっぱしの社会人・発言者を気取っている
憐れな自己正当化者・自己陶酔者
を見かけますが…

自分も1歩間違えれば ああなっていたのだ… と思うと、
イヤミでもなんでもなく背筋が寒くなります。

彼ら・彼女らは「服用のタイミングを間違えた」か、
「服用に耐えられる体力(人間の幅)が無かった」
僕の未来の可能性の1つだったのですから…)


 



『太宰治は、良い作家か 悪い作家か』


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