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自由と責任は1セット
■ 自由と責任は1セット
執筆 2012年頃
更新 2022年 11月13日
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「何を今さら 改まって??」と
笑う人も多いでしょうが…
『自由』って大切
ですよね。
『選択 の 自由』
『発言(言論)の 自由』
『報道 の 自由』
などなど…
特に 2000年ごろから、
「インターネット」
によって
誰もが手軽に 世界に向けて発信
できるようになって以来、
『発言 の 自由』
『報道 の 自由』
が 声高に唱えられるように
なりました。
ところが、
ここ 10年ばかりで、
ちょっとオカシナ事に
なってきている
のを
自分は感じています。
たとえば SNSで
一般人
が、
ろくに背景も調べずに
脊髄反射に 政治家や有名人を罵倒
したり、
ろくに確認もせずに、
「自分にとって都合のいい内容だから」と
デマを拡散してしまう
ケースが、
本当に多くなった
と…
(あなたも きっと、
同様に感じているではないでしょうか?)
また、昔から
一部のマスコミ
は、
「自分の会社やスポンサーにとって
都合のいい情報」
や、
「敵対勢力にとって
都合の悪い情報」
を、
『ウソではないけど、本当でもない』
内容に加工
して、
日常的に、意図的に、
バラまいてきた歴史があります。
ところが こうした
誹謗中傷・デマ拡散・
偏向報道
なども、
発信している 人々や企業
に 言わせれば、
『発言 の 自由』
であり
『報道 の 自由』
なのです。
明らかな 迷惑・犯罪行為
が、
なぜか
「当然の自由(権利)」
のように 主張されている…
どうして 現代では、
こんな
『矛盾』
が
まかり通ってしまっている
のでしょう??
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…と、ここまで読んだ時点で、
このページのタイトル
を
きちんと憶えていて下さった方は、
ピンと来た
ことと思います。
そうです。
「自由のみ」を行使するから、
オカシクなる
…
「発言 の 自由」
ばかりを
振りかざして、
『発言 の 責任』を
ないがしろにしている
から、
こんな
オカシナ世の中
に
なってしまっているのです。
では、
『発言 の 責任』
『報道 の 責任』
とは、
具体的に
どういう物なのでしょう?
それは
『情報の正確性を 心がけること』
であり、
『もし、自分の情報に
間違いがあると分かった時、
それを訂正・謝罪すること』
です。
発言する前に、可能なかぎり
「情報の裏取り」
をし、
不明瞭な部分
については
「自分も人づてに聞いたので
自信ありませんが」などと
必ず 一言そえ
、
誤ってデマ拡散に加担してしまった
と 気付いたきは、
『デマ情報』であったことを表明し、
自分の手落ちを謝罪する
…
そうした
『責任』
を
果たす者にこそ、
『自由』を使う権利
が 発生する
のです。
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昨今 一部のマスコミが、
『マスゴミ』
などと称されて、
信用もされず
笑い者になっているのも、
こうした
『報道の責任』を 果たさず
、
自分の会社や家族の
利益のためだけに、
『視聴者の喜びそうなウソ』
を
垂れ流し続けた結果と言えます。
そして、
そうした連中を
鼻で笑う
「私たち」
も、
1歩 間違えば、
『マスゴミと同レベルの犯罪者』
に なりかねない危険
を
はらんでいるのが、
今の『ネット社会』
でもあるのです。
「自由」
というものは 決して、
無制限の権利
ではなく、
『責任と1セットになって、
はじめて使うことができる権利』
です。
私たち自身が
マスゴミ
に
なってしまわないよう、
『発言 の 責任』
を
常に心がけ、
『発言 の 自由』
という
素晴らしい権利を
行使して行きたいものですね。
ちなみに 今回は
「報道・発言」
について
「自由 と 責任」
の話をしましたが、
『自由と責任は1セット』
という思考は、
あらゆる行為についての基礎となる考え方です。
「社会ルール」や「真の平等」などを
考える上で、あなたが迷ったとき、
ぜひ この言葉を思い出して、
問題解決の糸口
にしてくださいね。
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