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『人として』は、姑息な言葉


 ■『人として』は、姑息な言葉

執筆 2022年 03月14日 


討論などにおいて
『(そもそも)人として』
という言葉を使いたがる人間は、

だいたい 低能な 卑怯者 です。






自分の主張に
「人間として〜」
「大人だったら〜」

という言葉をからめたがるのは、

要は『私の主張は、
個人の ちっぽけな考えじゃなくて、
人間として 大人として、
当たり前であるべき意見なんだーー!!』

と 相手に思わせたいわけで…



そこには
意見・情報の「内容」は 二の次 で、
『とにかく 自分の主張に
箔をつけたい!』
という、

その人の 身勝手な 欲望
気持ちの悪い 幼児性
見え隠れしているからです。






なに勝手に
「人間・大人の価値観の代表」
気取ってるんだか。


本物の大人だったら、
『主張の内容』で 相手を納得
させてほしいものです。


(ちなみに、久米田康治さんの 漫画『さよなら絶望先生』の中に、
『主語のデカい人』という表現があります。

こういった人々は、「人間」「大人」といった
大きなくくりの言葉を自分サイドに使う ことで、
「こちらの意見こそ多数派・一般的!」と
周りに錯覚させたい
のでしょうね)







『人として』という言葉は、

とにかくイニシアチブ(主導権)を
欲しがる卑怯者が、
好んで使う「姑息な 慣用句」



そして、

『自分の主張への、
自信の無さの表れ』

なのです。






『人として』は、姑息な言葉


【下へ 続きます】



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