【広告】


Index情報・発信
『不平等な 比較』に 注意しよう


 ■『不平等な 比較』に
    注意しよう

執筆 2022年 03月06日  更新 2022年 06月03日 


僕が 若い頃から気になっていて、

大人になって ようやく
その おかしさ の正体が判明した
ものの1つに、

『不平等な 比較』
というものがあります。



これをお読みの あなたも、

テレビのニュースや
ネットのどこかで、
こんな感じの「おかしな比較」
見聞きしたことがありませんか?



『この、人助けをした
田舎の人は素晴らしい!


それに引き替え、東京人は
心が冷たい奴ばかり!』



『この、ボランティア活動をしている
学生は立派だ。


それに引き替え、どうして政治家は
バカばかりなんだ?』



『この女性の仕事ぶりには 本当に驚く。

それに引き替え、男は痴漢にDVと、
女に迷惑をかけてばかりで
恥ずかしいと思わないのか!』




さすがに 3つ目
苦笑する人も多いと思いますが、

先の2つに関しては
すぐには おかしさに気づけなかった り、

むしろ、ウッカリ
納得してしまいそうになる
人も
いるのではないでしょうか?






これらの表現の
どこが「おかしい」のか?



それは、

『Aという集合の高評価なものと、
Bという集合の低評価なものを
比較している』
点…


さらには、

『B集合の低評価な者を、
さも「B集合の平均値」
であるかのごとく語り』


とどめに

『その主張の根拠が
どこにも説明されていない』

所にあるのです。




【下へ 続きます】



【広告】

 



先ほどの 例文3つを、
1つ1つ見直してみましょう。

まずは、
『この、人助けをした
田舎の人は素晴らしい!


それに引き替え、東京人は
心が冷たい奴ばかり!』

です。


この文章、一見すると
「田舎住まいの人」と「東京の人」を比較 して、
両者の「心の温かさ」(他人との接し方)の違い
論じているように見えますが…

実は 違います。



『人助けをした 田舎の人』と
『一部の心ない 東京の人』を
比較してしまっている
のです。



言うまでもない事ですが、

「田舎の人」だからといって、
誰もかれもが人助けを
するわけではありません
し、

「東京の人」が、
人助けをしないわけでもありません。



なのに このケースでは、

「平均的な 田舎の人」と、
「平均的な 東京の人」を 比較せず


『親切な(高評価な)田舎の人』と、
『冷たい(低評価な)東京の人』を 比較

してしまっている…



明らかに東京人にとって
不平等
というか、

そもそも
公平な比較に なっていない
主張なのです。






続いて 2つ目は
『この、ボランティア活動をしている
学生は立派だ。


それに引き替え、どうして政治家は
バカばかりなんだ?』

です。


「学生 − 政治家」の 比較 ですが、
これも変ですね。

「ポランティアをしている学生」という、
いかにも 良いイメージ しか浮かばないもの
(実際の所は 分からないですが)
を 比較対象に持ってくれば、

大抵の「普通の大人」は、
大なり小なり 薄汚れて見えるものです。
(実際の所は 分からないですが)



そこに「政治家」という
単語を持ってくれば、

当然ながら
「政治家は 薄汚れたもの」
というイメージを
相対的に引き出しやすい
ですし、

中には「政治家」などと
アイマイな呼称ではなく
ズバリ『議員名』にしているヤバい発言も
今のネットには あふれているのです。

(私の見るかぎり、
「左翼」系の人々が 自民党議員を批判をするとき に、
この手の「印象操作」を使うケースが多いように感じています)







3つ目は、
『この女性の仕事ぶりには 本当に驚く。

それに引き替え、男は痴漢にDVと、
女に迷惑をかけてばかりで
恥ずかしいと思わないのか!』

です。


ほとんど「冗談」のように
見える文章ですが、

こんな表現が
本当に普通に飛び交っているのが、
悲しいかな 今のネット世界です。



もっとも、
ここまで読んで下さった あなたなら
すぐに この主張の カラクリ
気づいた事でしょう…


「社会的に高評価な 女性」と
「犯罪者か それと同等の 男性」という
不平等な比較
によって、

『男性は低能なくせに、
女性に迷惑をかけてばかりだ!』

という暴論を

さも「今の世の中の 客観的な見方」
であるかのごとく
印象操作 しようとしている…

それが、この主張の正体 です。



度を越えた フェミニズム主義者 が、
なんの迷いもなく、
むしろ積極的に、
こうした『印象操作』
駆使しているのを見ると…

自己正義に酔っぱらうことの 恐ろしさ
を 痛感せずにおれません。




【下へ 続きます】



【広告】

 



以上が、

僕が 大人になって
ようやく気づいた、

『不平等な 比較』の
カラクリの正体
です。



「自分たちに都合のいい比較対象」を
意図的に選ぶことで、我々をダマそうとする
彼ら・彼女らの 姑息さ

は、本当に鼻につきます。






ちなみに、
こうした詭弁に ダマされない
ために、

『文章の主語を入れ替えてみる』
という判断方法を お勧めいたします。



試しに、先の3つの例文の主語を、
それぞれ入れ替えてみる
と…

『この人助けをした東京人は素晴らしい!
それに引き替え、
田舎の人は心が冷たい奴ばかり!』


『このボランティア活動をしている
政治家は立派だ。 それに引き替え、
どうして学生はバカばかりなんだ?』


『この男性の仕事ぶりには驚くばかり。
それに引き替え、女は男に迷惑をかけてばかりで
恥ずかしいと思わないのか!』

(3つ目は、うまい入れ替えが見つかりませんでした(苦笑))



読んでみて どうですか?

「田舎住まいの人」、「学生」、「女性」の 皆さんは、
納得のいかない批判に イラッと来た
のではないでしょうか?


それはつまり、こうした表現が

「単に、集合Aの 高評価なものと、
集合Bの 低評価なものを比較している」

だけのくせに、

「少数の低評価を
さも全体の平均値のように語り」


かつ「きちんとした理由を表記していない」
理不尽なもの だからです。






皆さんも 今日から、
こんな感じの『2者の比較』を
見かけたら…


『AとBは、本当にフェアな比較に
なっているだろうか?』


『主語のAとBを入れ替えても、
筋の通る主張になっているだろうか?』
を、

ぜひ、一度 立ち止まって、
考えてみてほしい
のです。




そして、こうした印象操作を
平然と使っている人・マスコミ

を 見つけたら、

『つまり、そういう人・マスコミなのだ』
と 気づいてほしい…



そうした「気づける目」
多くの人々が持つようになれば、

卑怯者は 自然と居場所を失う
のですから…







『不平等な 比較』に注意しよう


【下へ 続きます】



【広告】

 


[目次 に 戻る]